世界遺産・熊野古道案内

世界遺産・熊野古道”5周年目企画”


熊野古道とは、主に以下の5つの道を指す。多くは、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定され、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録されたが、紀伊路は登録されていない。なお、これは「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(スペイン)と共に珍しい道の世界遺産である。

世界遺産登録5周年目リンク集

熊野古道案内
”リンク集”

熊野三山

本宮大社詳細
那智大社詳細
速玉大社詳細

以上の三社を合わせて熊野三山といいます。

高野山

高野山は和歌山県伊都郡、紀ノ川の南方、海抜100メートルの山上にある。空海(弘法大師)の開いた真言密教の聖地

高野山詳細

紀伊路

紀伊路から田辺で山の中を分け入る中辺路と海辺を通る大辺路があります。

中辺路

平安時代からの熊野古道のメインルート

中辺路王子社詳細

メインルートの中辺路は平安時代からの王子社や跡地がいっぱい

大辺路

 海辺を通る風光明媚な古道

伊勢路

 伊勢路は京都から伊賀越えや鈴鹿を越え長島に到り海岸線を通り伊勢から本宮大社に向かい進むコース。

伊勢路詳細

コース案内

本宮大社周辺

 お気軽に楽しめる熊野古道の聖地、本宮大社周辺のコース案内

那智大社周辺

熊野古道のたびもいよいよフィナーレを飾る那智大社周辺のコース案内

その他

熊野古道の旅

電車・バス交通案内

USJ特集

紀州MAP・TOP

和歌山見所.NET

熊野古道特集

熊野古道案内”世界遺産登録”5周年目”

熊野古道とは、主に以下の5つの道を指す。多くは、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定され、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録されたが、紀伊路は登録されていない。なお、これは「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(スペイン)と共に珍しい道の世界遺産である。

世界遺産に登録された熊野古道

熊野古道案内過去のTOPページ

2008年11月秋の熊野古道”高野山特集”

熊野古道大辺路

 熊野古道で大辺路は紀伊路で大阪から和歌山県の田辺で山の中を分け入る中辺路と海辺を通る大辺路とに別れています。熊野古道のメインルートとされる中辺路と違い大辺路は王子社の数も少なく国道42号線に吸収されて所々の峠道を残すのみとなっていました。現代では大辺路は地元有志のかたがたによりだいぶ発掘が進み、白浜の富田坂、日置川町からの仏坂、周参見町からの長い坂などが熊野古道として世界遺産に登録されています。熊野古道での中辺路と違い大辺路は近世には文人墨客に愛さが残されています。

大辺路の観光名所案内

枯れ木灘

長井坂(ながいざか、または長柄坂(ながえざか)とも)は、すさみ町口和深から見老津を結ぶ丘陵道である。和深川王子神社近くでJRきのくに線の線路を横切り、和深川に架かる木橋をわたると、登り口がある。紀勢本線の双子山トンネルの上部に出て、杉林の中、枯木灘を横目にジグザグの坂道を登る。やがて緩やかな坂道を下って茶屋峠(茶屋の壇)に降り立つ。峠を後にし、県道225号に吸収された区間を過ぎると、ふたたび峠道を直進し、やせ尾根沿いに急坂を下って見老津駅近くのJR線路脇に降りる。

橋杭岩(はしぐいいわ)は、和歌山県東牟婁郡串本町の観光名所で吉野熊野国立公園に属している。同町の大字鬮野川(くじのかわ)の小字橋杭の、紀伊大島に対向する海岸から紀伊大島方面へ南西一列におよそ850mもの長きにわたって大小約40の岩が連続してそそり立っており、橋杭岩とはその岩の総称である。直線上に岩が立ち並ぶその姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることが出来る。

伝承によると、昔弘法大師が天の邪鬼と串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行い、弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところであまのじゃくがこのままでは賭けに負けてしまうとニワトリの鳴きまねで弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせ、弘法大師は作りかけでその場を去ったために橋の杭のみが残ったということになっている。

橋杭岩を通して見る朝日はとても美しいと評判で日本の朝日百選の認定も受けている。また、国の名勝や国の天然記念物の指定も受けている。

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世界遺産登録5周年目リンク集

(三重)世界遺産熊野古道 来年で登録5周年 : どうなる どうする ...

2008年9月6日 ... 熊野古道が2004年に世界遺産登録され、来年で5周年を迎える。当初は「地域活性化の起爆剤」と期待されたが、周辺の自治体を潤す大きな成果には結びついていない。地元では、古道をいかに活用し、活性化につなげるかが試されている。 ...

熊野古道世界遺産登録4周年で記念シンポ - AGARA紀伊民報

世界遺産熊野古道や南紀白浜の観光情報、和歌山県内の情報を網羅したニュースサイトAGARA. ... 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録4周年を記念する和歌山県主催のイベント「熊野参詣道大辺路ウオーク&シンポジウム」が6日、 .... 2008年 5...

2008年度 (舞)世界遺産登録5周年記念事業 当初予算 新規事務事業 ...

平成21年に世界遺産登録5周年を迎える契機に「美し国おこし・三重」のオープニングイベントの一つとして、国際観光、地域文化醸成、文化遺産の保存等をテーマとした国際シンポジウム等を開催することにより、熊野古道伊勢路をモチーフに、今後の地域 ...

熊野古道で健康になろう | 熊野健康村.com

一遍聖人ゆかりの熊野古道を歩きココロも体も健康に現在の蘇りウォークに参加しませんか? 川湯温泉も楽しめますよ!(川湯温泉宿泊) (一遍聖人名号碑) ... 【協力】 高野・熊野世界遺産登録プレ5周年記念協賛事業実行委員会、(有)大塔交通社 ...

南紀くろしお:世界遺産登録5周年 - livedoor Blog(ブログ)

2008年10月30日 ... 熊野那智大社 宮司は5周年という節目も大事ですが、この5年間何をしてきたのか? これから何をすべきなのか! ... 他県の世界遺産認定エリアでもゴミ問題や景観保護の問題が色々あります。 我々の地域の問題点では、熊野古道の中で石畳 ...

みえ東紀州 熊野古道 伊勢路:イベント&ウォーキングレポート:熊野 ...

今回とりまとめた「熊野古道アクションプログラム2 追記編」は、策定から3年を経過した熊野古道アクションプログラム2の見直しを行うと同時に、平成21年に迎える「 紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録5周年に、各主体が取り組む活動の指針と ...

のらのすけが走る: 熊野古道伊勢路・シンボルマーク

来年は、世界遺産登録5周年とJR紀勢本線全通50周年の記念の年になりますので、「 熊野古道伊勢路を結ぶしくみづくり」も集大成として、伊勢路踏破をしくみとして定着させたいと考えています。 大変お世話になりました。 ...

熊野三山


 熊野古道では、熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社を合わせて熊野三山と申します。熊野の三神は、本来は別の神であったとされ、それぞれを熊野に坐神(家津御子神)、熊野速玉神、熊野牟須美神(あるいは夫須美神と呼ばれていました。平安中期以降、三神を相互に祀り合う形で一体化し、ここに仏教色も加わり、熊野三山または熊野三所権現と呼ばれるようになりました。

本宮大社

熊野本宮大社は熊野古道の中辺路での一番最初に詣でる所です。平安時代から現代にかけて人気の在るコースもこの本宮大社付近にあります。
 熊野本宮大社は元々は熊野川の支流である音無川と岩田川の合流する中州の大斎原に在りましたが明治22年の大洪水の為に上四社以外の社が流失し残った四社を現代の丘の上に移動させました。主祭神は家津美御子大神(スサノオノ尊)を主祭神とし証誠殿を第三殿として中央に祀りしその西に熊野夫須神(イザナミの大神)・事解之男神を祀る第一殿、速玉之男神・イザナギの大神を祀る第二殿、反対側に天照大神を祀る第四殿を合わせて上四社と言います。

那智大社

熊野古道での熊野那智大社は平安時代からの中辺路のコースのフィナーレを飾る所であります。
 現在の社殿は昭和10年に大改修されたものです。第一殿に大己貴神、第二殿に家都御子神、第三殿に速玉大神、第四殿に主祭神の熊野夫須美大神、第五殿に天照大神、第六殿に忍穂耳尊他、八柱の神が祀られています。

速玉大社

熊野速玉大社は平安時代からの熊野古道の旅では本宮大社に詣でた後に熊野川を船で下り速玉大社に詣でたとされます。
 熊野速玉大社は熊野川河口近くに鎮座し熊野年代記に寄れば、最初は神倉山に天降りました熊野三所権現(熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神)を景行年間に現代の場所に遷座し新しいお宮なので新宮となずけられました。神倉山の元宮は現代は速玉大社の摂社となり神倉神社と呼ばれています。御神体はゴトビキ岩と言われており神々が降臨したと言われる巨岩です。

金剛峰寺"大師の教え”


真言宗は、弘法大師 空海(以下 お大師さま)の立教開宗による、仏教の心髄の教えを説く密教の宗派です。

お大師さまが中国へ渡り、時の都長安(現在の西安市)で、密教の伝承の第7番目の祖、青龍寺 恵果和尚より授かった密教を広く日本へ伝える為に開かれました。

密教の根本の仏様は、宇宙の本体であり絶対の真理である大日如来を本尊とし、真言は「オンアビラウンケンバザラダトバン」です。お大師さまは、一切の衆生を救う為にこの真言宗を開創され、人々に密教の教えを広く流布されたのです。(参照 http://www.koyasan.or.jp/oshie/index.htm 高野山真言宗 総本山金剛峯寺l)

 大門は高野山の歴史高野一山の総門である。開山当時は今の大門の左前方のやや下った所に華表を建て、高野山の山門としたが、後に現代の場所に楼門が建てられた。前のものは元禄元年に焼け、今の建物は宝永2年(1705)に再建され、解体修理が行われ、昭和61年(1986)に完成したものである。門前からの眺望はよく、天気の冴えた時は紀淡海峡から遠く淡路、四国の山々を見ることができる。門前左の赤い鳥居の道を600メートルほど登ると高野山最高峰、弁天岳にたどり着く、展望はすばらしく、また道の中間までは昔のままの原生林が残っている。

高野山の歴史

高野山は和歌山県伊都郡、紀ノ川の南方、海抜100メートルの山上にあり、周囲を高峰に囲まれた東西6キロ南北3キロの盆地である。
 今から1200年前の昔、大同元年(806年)弘法大師が唐より帰朝後、真言密教の道場を開くため、都塵を離れた幽玄の地を紀伊、大和の山中に探し求め、この地に嘱目なされた。弘仁7年(816)、ここに真言道場を開きたき旨を、時の帝、嵯峨天皇に上奏して高野の地を賜ったのである。当時賜った地域は広範なもので寺領一万町歩といわれている。翌同八年、諸弟子及び工人等多数を伴い登山され、開山に着手なされた。これが高野山金剛峰寺のはじめである。
 承和2年(835)、伽藍の完成を待たずして大師御入定があり、高弟の真然大徳がその後を継ぎ伽藍を完成。以来仏教各流の衆禅の大道場として栄え、徳川時代の正保の頃には大小2000に余る寺坊が廂を並べた。この反面には数々の火災と内紛等による興亡の岐路に立つことも多々あった。その後、元禄の大整理、明治維新の大変革を得て今日に至る。
      高野山の現況
 明治維新に際し、寺領及び外山の森林等を全て国家に奉還し、山上を以って境内と定めた。現在は伽藍と奥之院の両壇を中核に総本山のほか117ヵ寺あり(うち宿坊寺院53ヵ寺)、これを主体として約1000戸の商家と、4000の人口が山上に住み、全高野町勢の半数を占めている。また高野町の各機関は総てこの山上に置かれ、全国でも稀に見る境内街を形成している。
(参考 高野山ガイドブック) 

熊野古道 高野山特集 奥の院


 奥の院の入り口の一の橋から弘法大師の御廟まで2キロ、この間の参道両側に、老杉を交えて、苔むした五輪碑が立ち並ぶ景観は全国でも珍しく、高野山独自のものと言える。
この参道の墓群について少々駄文を連ねてガイドの役割を果たしたい。ここに墓標が建て創められたのは、鎌倉時代かと推測されるが、その当時のものは形も小にして、その数も少ない。もっとも盛んに健碑の行われたのは江戸時代であり墓碑の形態も大きく立派なものになったこれは徳川幕府の平和政索に基づくもので、徳川家においても高野山に家康の霊廟を建て、祖先崇拝の風習を強く押し奨めたため、全国各地の大名は競ってここに墓城を構え、次々と健碑が進められたのである。また一説には徳川の政索として全国の大名に兵馬の養う財力を、こうした方面に消費せしめたとも言われているが、とにもかくにも交通は不備にして機械力がない当時の高野山において、石材の総てを瀬戸内海辺りの産地から運ばせたもので、一基の健碑と言えども容易の業でなかったと思われる。これは徳川の平和政策の所産とも言えるが、また一面大師の膝元へという願いが秘められていたに違いない。その後、一般市民のこれに習い宗旨の別れなく、続々と健碑が行われ、今日の大墓群を成したものである。ここに群がる墓石の数は大小合わせて10万基とも言われ、その大半は徳川期又はそれ以降の健碑と見られるが、それ以前の古いもので、由緒あり年代の詳名ものは史跡にも指定されている。

和歌山県見所.NET高野山紹介

熊野古道特選動画特集

あげいん熊野詣

あなたも時代衣装を着て御幸行列に参加して見ませんか。

 平安時代後期に急激に高まった熊野信仰は全国に広がり、皇室から庶民に至るま で多くの人々が訪れ、「蟻の熊野詣」と呼ばれる程でした。
この行列をかつての時代衣装そのままに再現し、雄大な自然の残る熊野古道の中 でも最も美しい「大門坂」から「表参道」、「熊野那智大社」、「那智山青岸渡寺」 に至るコースを辿ります。
優美な貴族達の衣装をまとった御幸行列は、あたかも平安の世にタイムスリップ したような気持ちを誘います。

熊野古道特集”那智の滝”


那智山中には、いくつかの渓流があり、その渓流には60余に達する多くの滝が架かっている。「那智滝」とは、本来は、那智山の多くの滝のうち、瀧篭修行の行場として扱われた48の滝(那智四十八滝)の総称であった。

しかし、現在、一般に那智滝として知られている滝はこれらのうち、一の滝を指している。那智山一帯は、滝に対する自然信仰の聖地であり、一の滝は現在でも飛瀧神社の御神体であって、飛瀧神社の境内に設けられた滝見台からその姿を見ることが出来る。(参照 那智滝 - Wikipedia

中辺路

 紀伊路から田辺で山の中を分け入る中辺路と海辺を通る大辺路があります。熊野古道の中でも中辺路は平安時代からも貴族たちの熊野古道としての参詣道のメインルートとされてきました。熊野古道の王子社の殆ども紀伊路から中辺路に沿って建てられています。現代でも熊野古道のメインルートとして人気の在るコースでハイカーや観光客などが多数訪れています。


熊野古道大辺路

 熊野古道で大辺路は紀伊路で大阪から和歌山県の田辺で山の中を分け入る中辺路と海辺を通る大辺路とに別れています。熊野古道のメインルートとされる中辺路と違い大辺路は王子社の数も少なく国道42号線に吸収されて所々の峠道を残すのみとなっていました。現代では大辺路は地元有志のかたがたによりだいぶ発掘が進み、白浜の富田坂、日置川町からの仏坂、周参見町からの長い坂などが熊野古道として世界遺産に登録されています。熊野古道での中辺路と違い大辺路は近世には文人墨客に愛さが残されています。

熊野古道伊勢路と紀伊路

 熊野古道には大きく分けて二通りのルートがあります。先に紹介した熊野古道紀伊路と熊野古道伊勢路に別れます。伊勢路はすでに中世から「熊野に参るには紀道と伊勢路のどれ近し、どれ遠し、広大慈悲の道なれば、紀道も伊勢路も遠からず。」紀道(紀伊路)は京都を基点に大阪から和歌山田辺から山の中を分け入る中辺路を通り本宮大社向う平安時代の熊野古道のメインコース。
 伊勢路は京都から伊賀越えや鈴鹿を越え長島に到り海岸線を通り伊勢から本宮大社に向かい進むコース。伊勢路も紀伊路も遠からずとありますが、実際には伊勢路のほうが楽であったとされています。その理由は、同じ熊野古道でも紀伊路が殆ど歩かなければいけなかったのに対し、伊勢路は長島から船で行けたからでしょう。

熊野古道小辺路

 小辺路とは熊野古道で高野山と熊野本宮大社を最短距離で結ぶ道である。熊野古道の中でも小辺路が歴史上に登場するのが天正元年(1573)年のことで近年になり熊野本宮大社と高野山詣りの両方の出来る道として使われるようになりました。現代では、高野龍神スカイラインと林道により、昔の熊野古道の姿としては残っていないところが多いようです。

大峯奥駈道

大峯奥駈道は、奈良吉野山と熊野三山を結ぶ、もとは修験道の修行場として開かれた道であり、熊野古道の中で最も険阻なルートをなす。今日、一般的に大峰山(大峯山)といえば山上ヶ岳を指すが、大峯奥駈道でいう「大峯」とは、吉野から山上ヶ岳を経てさらに奥の山々、そして最終的には熊野三山に至る大峰山脈を縦走する修行の道全体を指している。深田久弥は日本百名山の中で山上ヶ岳から最高峰の八経ヶ岳までの峰々を縦走したことを紹介している。

伊勢神宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊勢神宮(いせじんぐう)は三重県伊勢市にある神宮の俗称。神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は神宮。ほかの神宮と区別する場合には伊勢の神宮と呼ぶ。神道の神社では別格とされ、格付けはされない。

建物は皇大神宮(こうたいじんぐう)と豊受大神宮(とようけだいじんぐう)からなる。通常は皇大神宮を内宮(ないくう)と呼び、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。内宮は皇祖天照大神(あまてらすおおみかみ・てんしょうだいじん)、外宮は豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る。近世江戸時代を除いて、古代から政治的権威と結びつくことが多かった。

皇祖を祀る神殿を「神宮」と称することは中国の『詩経』の「?宮」(ひきゅう)の神楽歌への鄭玄(127-200年)の注釈に見える。そこでは周王朝の遠祖の「姜?」(きょうげん)という女神の「依(よ)る所、故に廟を神宮と曰(い)う」と述べられている。

広くは、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた一連の社宮を神宮と総称する。この場合、所在地は伊勢市にとどまらずまたがる。

社務所に当たる組織は神宮司庁と呼び、三重県伊勢市宇治館町に置かれている。

熊野古道案内・伊勢路特集

伊勢路とは

 熊野古道のうちで、伊勢から熊の三山を目指す道を伊勢路と呼びます。紀伊の険しい山々を熊野灘に向かい南下する大変に険しい道のりです。江戸時代ではお伊勢詣りをすませて熊野三山や西国33箇所詣りをする巡礼者も増え、峠の所々には石畳が敷かれました。

伊勢神宮

 伊勢神宮は2000年前に皇女の倭姫命が天照大神の鎮座地を求める長旅の末、伊勢に定めたのが始まりといわれています。それが皇大神宮で一般には内宮と呼ばれています。一方、外宮こと豊受大神宮はそれより500年後丹波から豊受大神をこの地に迎えたものです。

ツヅラト峠コース

 かつては伊勢と紀州を二分する境であったツヅラト峠。頂上の見晴台に立つと、深い山の向こうに熊野灘が広がっている。九十九折りの坂道が続くものの、昭和初期まで生活道だった古道で、アップダウンもきつくなく初心者でも歩きやすい。

馬越峠コース

 海山町と尾鷲市の境にある馬越え峠を越える一般向けコース。尾鷲ヒノキの林間を約二キロに渡って続く石畳は、熊野古道の中でもひときわ趣深い。途中、地藏尊や句碑など史跡も多く、天狗倉山頂まで一足伸ばせば、尾鷲一円の眺望も楽しめる。

伊勢神宮

熊野古道ブログリンク集

PATOⅠPATOⅡPATOⅢPATOⅣPATOⅤPATOⅥPATOⅦPATOⅧPATOⅨPATOⅩ
PATO⑪PATO⑫PATO⑬PATO⑭PATO⑮

熊野三山


 熊野古道では、熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社を合わせて熊野三山と申します。熊野の三神は、本来は別の神であったとされ、それぞれを熊野に坐神(家津御子神)、熊野速玉神、熊野牟須美神(あるいは夫須美神と呼ばれていました。平安中期以降、三神を相互に祀り合う形で一体化し、ここに仏教色も加わり、熊野三山または熊野三所権現と呼ばれるようになりました。

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