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佐野王子の創建年代は明らかではなく、承元4年(1210年)の修明門院参詣記に初出する。江戸期の地誌『紀伊続風土記』は、熊野那智大社の境外末社となった後、廃絶したと伝える。それによれば、佐野王子の跡地は若一王子森と呼ばれており、周囲230間(約420m)の立派な森であったという。
しかし、他の記録には、本来の佐野王子とは近くの王子川河畔に設けられた祓所が転じたものであるとされ、この祓所を継承したと見られる若一王子神社が明治期まで存続していた。この神社は、1911年(明治44年)10月26日付で、新宮市佐野山田の天御中主神社(あめのみなかぬし)神社に合祀廃絶された。その後も1926年(大正15年)の和歌山県の調査では、王子橋から約2町(約230m)の松林の中に3尺(約90cm)四方の小祠があったとしているが、『新宮市誌』[新宮市
1937]には倒壊して失われたと述べられている。
現在の碑は王子橋の北約80mの位置にあり、説明版が立てられている。碑の北側約10mには北条政子の宝筐印塔、地蔵群が、南側約40mには神武天皇聖績狭野顕彰碑がある。
(参考 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
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