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熊野古道・出立王子詳細出立王子
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わが背子が使来むかと出立の 大宝元年(701年)十月、持統・文武両帝の紀伊の国に行幸された時の歌十三首を記録する、として収められた内の一種です。出立のこの美しい松原を今日は通り過ぎてしまう事であろうかと詠むまれたものです。出立という地名にちなんで詠まれたものでしょう。寛政10年(1798)の紀行文「熊野詣紀行で(林信章著)にも「西の谷 右浜辺松原一丁斗の間あり」と記されて景勝が長く保持されてきましたが、明治の神社合祀のとばっちりを受けて松並木は姿を消し王子社もわずかに跡を残すだけとなりました。 |
猪こごしき潮垢離の跡熊野詣では絶えず身心を清潔に保つための垢離は欠かせないものでした。出立王子では「潮垢離」をとるのが慣わしでした。始まりは祟神天皇が熊野御幸の時、ここで潮浴びされた、それ以来この浜で垢離をとるのが慣わしとなったそうです。祟神天皇がその時に腰をかけられた「腰掛石」と呼ばれる石が有ります。浜は埋め立てられ枡潟町となりましたが、腰掛石はいまも児童公園の片隅に残っています。 |
熊野古道ホームページ紹介集 |
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出立王子 龍泉寺のすぐそば、田辺第三小学校に向かう坂道途中に出立ち王子はあります。 古道はここまで海沿いを通って来ましたが、ここから中辺路へと向かう山道へと変わります。「わが背子が 使来むかと出立の この松原を今日か過ぎなむ」と万葉集に詠われているように、潮垢離浜(しおごりはま)で身体を清め、熊野の山々へと出発するという意味で、「出立ち」 という名が付けられたと考えられています。 |
| 出立王子は、江川大橋バス停の手前を左にはいるとある。これまで古道は、国道やJRの線路沿いに来ていたが、ここから市内に入る。田辺は古くから栄えた街であり、ここで旅の垢を落とすとともに、歓楽街に繰り出したのではなかろうか。 そしてこのあたりから、串本方面に下る大辺路と中辺路に分かれたと思われる。 万葉の歌にも詠まれた出立の浜(江川児童公園付近)で最後の潮垢離をした旅人達は、いよいよ奥熊野への旅の心構えを新たにし歩いたのであろう。 現在はこのあたりは道も開け、商店街になっている。 以前私が訪れた日は曇りであったが、近所のおばあさんがひとかたまりになり、なにやら世間話をしていた。 2001年9月にジョエルさんたちと再訪した折りは快晴で、抜けるような青空であった。 またこのあたりは、裏道は非常に狭いが昔の町並みをよく残しており、歴史ある街にふさわしい風情がある。 (参照熊野古道 和歌山) |