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熊野古道・万呂王子詳細

万呂王子

定家は秋津王子に参った後「また山を越えて丸王子に参り」としています。今では秋津王子から山越えをして万呂王子に通じる道というのは全くわかりません。鳥居源乃丞の「熊野道中記」享保7年(1722)には上万呂村道の左、一丁ばかりの所にあり」とされていますがこの当時の参詣者たちは出で立ち王子を過ぎると会津川を渡り田辺城下の旅籠に止まるか休息した後、三栖に通じる中辺路を進むことになります。今でも北新町の通りに大辺路と中辺路の分岐を示す道しるべが立っていますが、この道を出ますと山際を通る熊の街道が開けていました。だから定家の通った道と源乃丞の通った道とは違い王子社も別の所にあったのではないでしょうか。

玉石を祀る王子社

田辺組大庄屋の記録「万代記」の宝暦10年(1760)では三栖組上万呂村の頃で「王子 胆何王子と申す義相知れ申さず候。神体玉石にて御座候。もっとも元禄・享保両度書上に九十九所の王子の内と脇書に書状申候」とあります。これから見ますと、玉を祀った祠が王子として残されているだけでほとんど忘れられていたようです。

熊野古道万呂王子ホームページ紹介

万呂王子は、会津川沿いにある。

御幸記には秋津王子を出てから、山を越えて着くとあるが山はもうない。
というより、王子そのものがあちこち移転したのではないか、と考える。本宮ですらそうであるように、川渕に建てられているものは、洪水やらの天変地異でいろいろ変わるのが常である。
ともかく、この王子跡も探すのに時間がかかった。現在は梅林の境目に、粗末な杭が一本建っているだけである。案内板と杭はかなり離れて設置されている。

(参照熊野古道 和歌山

小さな橋を渡って少し進むと、もう少し広い車道に出ます。そのまま進み、下写真の用水路沿いの細い道に入ります

細い道に入ってすぐ(約40mくらい)、用水路を渡れるようになっているところがあります。そこを渡った畑のなかに万呂王子跡の碑があります。ちょっと分かりにくいですが・・・
(参照熊野古道ウォーク 田辺〜稲葉根王子編