熊野古道・大辺路詳細

熊野古道の中でも大辺路は山の中を分け入る中辺路と違い海辺の道として古くは今昔物語に海辺の廻なりとされた四国遍路の原点とされ古くから熊野詣の道として知られていました。残念なのは現代では所々、国道や鉄道にさえぎられ、熊野古道として残されている所が少ない事なのですが、地元住民などの力により多くが古道発掘されてきました。海辺を歩く風光明媚な道である為、近代では多くの文人達に愛された道とされています。

熊野古道案内
”リンク集”

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熊野三山

本宮大社詳細
那智大社詳細
速玉大社詳細

以上の三社を合わせて熊野三山といいます。

高野山

高野山は和歌山県伊都郡、紀ノ川の南方、海抜100メートルの山上にある。空海(弘法大師)の開いた真言密教の聖地

高野山詳細

紀伊路

紀伊路から田辺で山の中を分け入る中辺路と海辺を通る大辺路があります。

中辺路

平安時代からの熊野古道のメインルート

中辺路王子社詳細

メインルートの中辺路は平安時代からの王子社や跡地がいっぱい

大辺路

 海辺を通る風光明媚な古道

伊勢路

 伊勢路は京都から伊賀越えや鈴鹿を越え長島に到り海岸線を通り伊勢から本宮大社に向かい進むコース。

伊勢路詳細

コース案内

本宮大社周辺

 お気軽に楽しめる熊野古道の聖地、本宮大社周辺のコース案内

那智大社周辺

熊野古道のたびもいよいよフィナーレを飾る那智大社周辺のコース案内

その他

熊野古道の旅

電車・バス交通案内

白浜町の草堂寺です

富田坂

富田坂(とんだざか)は、白浜町富田から安居(あご)を結ぶ。明光バスの富田バス停を下車し、高瀬川沿いの道をさかのぼると、草堂寺の城壁を思わせる石垣に出会う。この石垣の脇から旧道ははじまり、道を進むと、一里塚跡に着く。これは、上述の様に紀州藩が整備したもので、和歌山から22里を示している。

林道を抜けると、七曲りの急坂がはじまるが、これが富田坂である。富田平野や白浜から田辺湾にかけての海を横目に、坂を登り切ると、なだらかな起伏の尾根道である。自然林をたどり、峠の茶屋跡を過ぎ、安居辻松峠(あごつじまつとうげ)に着く。峠を越えると、平地までは林道が続き、日置川河畔の安居集落(西牟婁郡白浜町)で里に降りる。

峠の茶屋跡
または茶屋の壇(ちゃやのだん)。現地の案内板を含め、これを常設の茶屋の跡とする資料があるが、実際に常設であったのは近代以降のことで、明治維新の頃から1919(大正8)年までのことである。
安居辻松峠(あごつじまつとうげ)
地蔵立像あり。紀州藩の一里塚の跡地とされ、道の両側に塚が築かれて松が植えられていたと伝えられることから、この名が付いた。
安居集落
かつて安居村(あごむら)と呼ばれ、『紀伊続風土記』にも登場する大辺路の要地であった。大辺路を旅した文人墨客の立ち寄った旧家の屋敷跡がある。

ここからが熊野古道富田坂の入り口です。

展望所より見える白浜の風景

周参見王子神社です。祭神は天照大神

周参見王子神社

周参見王子神社(すさみおうじじんじゃ)は和歌山県西牟婁郡すさみ町にある神社。

1546(天文15年)に当時の周参見領主、左衛門太夫藤原氏安によって現在地に建立された。

江戸時代末期から明治にかけて奉納された絵馬55点が遺されている。そのうち約6割が船絵馬であって、周参見に船の出入りが多かったことを伝えている。これらは町文化財に指定され、境内にある歴史民俗資料館に保存・展示されている。

『紀伊続風土記』によれば、当初は「若一(にゃくいち)王子権現社」の名であったという。このことから、熊野から勧請されて建立された神社であることが分かるが、成立の年代や経緯から、熊野九十九王子社には数えられない。

和深王子です。祭神は皇大神、若一王子です。

和深川王子神社

和深川王子神社(わぶかがわおうじじんじゃ)は和歌山県西牟婁郡すさみ町にある神社である。

寛永2年(1625年)、松本四郎大夫広正が創建。

かつては、現在地よりも北の宮の谷にあったと伝えられている。創建当時から2社が併祀されており、明治42年(1909年)に周参見王子神社に合祀されたことになっているが、実際はそのまま祭祀されたものと思われる。御神体には室町期以前と思われる懸仏3体が完全な形で保存されていて、文化財的価値が高い。他に、弘化3年(1846年)年の記がある石灯籠や、弘化4年の年記がある石造手水鉢がある。また、境内の神社林は、古い森林形態をとどめる貴重なものである。

『紀伊続風土記』に記述があり、春日神社の摂社であると述べられている

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

秋の熊野古道”大辺路”ブログリンク集

熊野だより 熊野古道 大辺路 長井坂

すっかり秋めきウォークシーズンとなりました今日この頃、熊野古道ウォーカーのみなさんはいかがお過ごしでしょうか?
「もう中辺路は制覇してしまったし・・・」なんて方にお知らせします。熊野古道大辺路ってご存じですか?江戸時代初期の1623年に書かれた書物の中に初めて大辺路という言葉が出て来るのですが、中世の後期ごろにはこの語が使われ人馬の往来もあったと考えられています。
田辺から那智勝浦へ続く大辺路は中辺路道より2里長く、旅籠や茶屋がほとんどなかったため通行する人は少なかったものの、山中に分け入る中辺路に対し、海沿いを通る大辺路は景勝をもとめ文人墨客が熊野参詣の帰り道に利用したと言われています。
詳しい説明は又の機会としまして、今回はその大辺路の中からすさみ町にある長井坂をご紹介します。

徒然なるままに その33 熊野古道・大辺路(2)

この状態 でを過ぎ、5℃前後の冬の寒い日に一定期間さらされると『休眠打破』が起こり、眠りから 目覚めて春に向かう季節に気温が上昇すると蕾が大きく膨らみ、開花するそうです。 私の熊野古道歩きもようやく大辺路134kmの内、半分くらいの65km を ...

熊野古道 大辺路

城の跡は、津川の河口近くにある。 さて古道であるが、まず道標を探した。 北新町商店街の中程に道標がある。 ここは中辺路と大辺路の分かれ道でもある。中辺路を歩いたときにここを確認し、歩いたことを思い出した。道標には、「右きみゐ寺、左くまの ...

大辺路・湯川 - 里恋詩くて、熊野・高野・∞ - Yahoo!ブログ

☆熊野の里巡り58・大辺路・湯川
○さとさんの里巡り・いこら講座(相談と所用)・熊野道・大辺路、湯川温泉を歩くC
○実施日・2006/12/19
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 ゆかし潟の北側に大辺路がある。橋の下に熊野古道があったりする(写真)。

冬苺の道、ツワブキ(写真)が年末なのにまだ咲いていました。

こんな橋もまた楽しい(写真)。おばちゃんが車のドアを全部あけている。