滝尻王子は藤原秀衝建立であるとされています。根拠は熊野巡覧記では「これは奥州の秀衝建立の地なり。小社数多あり。秀衝夫婦熊野へ参詣せし時、秀衝の室、この所にて平産ありしかば、喜びのあまり藤原代々の宝剱をこの社に奉納せし故、剱宮とも云うとなり。」とされています
滝尻王子からはいよいよ聖域に入るとされています。平安朝の歌人増基法師の「いぬほし」があります。それには、「世をのがれて、心のままにあらん」」と単身熊野詣の旅に出た。むろの港(田辺湾)に上陸、一夜を木の許で明かして出立。いよいよ滝尻にやって来た。
御山に付くほどに、木のもとごとに手向けの神おほかれば、水のみにとまる夜、
万世の神てふ神に手向しつ思いと思うことなりなむ、
この紀行文では道中の王子社の事とかにはふれておらず、岩田川のみそぎも書いてはいませんが「御山とあるのは滝尻が熊野古道の聖域の入口だと言うことが伺えます。そしてその裏の剣山には八百万の神々がお祭りされている様子が伺えます。