近露王子は「中右記」が近津湯とする他は近露と呼ばれています。この王子のたたずまいは「紀伊続風土記」では「若宮王子権現社 境内四十間 神体木像なり」とするのみですが神社合祀までは上宮と呼ばれ、荘厳な樹叢をもつ王子社であったそうです。南方熊楠が神社合祀による杉の伐採から神木を守るために反対をしましたが、学校建築などで費用がかかるという理由のため新たに「近野神社」を設けてそこへ合祀されました。今の王子社は、元の位置に分祀されたもので石碑の筆者は大本教の出口王仁三郎ですが昭和十年の大本事件により筆者名だけ別人に変えられています。
近露王子も稲葉根王子同様にみそぎの場として重要視されていました。「近路王子は現世の不浄を払う」とされています。
